Redisに保存されている人物・企業・組織のデータ一覧です。項目をクリックすると詳細が表示されます。
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1867年 | 0歳 | 江戸の牛込馬場下横町にて誕生(本名:金之助) |
| 1868年 | 1歳 | 塩原昌之助の養子となる |
| 1881年 | 14歳 | 東京府第一中学校を退学し、漢学塾二松学舎に入塾 |
| 1884年 | 17歳 | 第一高等中学校予科に入学 |
| 1889年 | 22歳 | 正岡子規と出会い、初めて「漱石」の号を使用 |
| 1890年 | 23歳 | 帝国大学文科大学英文学科に入学 |
| 1893年 | 26歳 | 帝国大学文科大学を卒業し、東京高等師範学校の英語教師となる |
| 1895年 | 28歳 | 愛媛県尋常中学校(松山中学)の英語教師として赴任 |
| 1896年 | 29歳 | 熊本の第五高等学校教授に着任。中根鏡子と結婚 |
| 1900年 | 33歳 | 文部省留学生としてイギリス・ロンドンへ留学 |
| 1903年 | 36歳 | イギリスより帰国し、東京帝国大学講師および第一高等学校講師に就任 |
| 1905年 | 38歳 | 『ホトトギス』に処女作『吾輩は猫である』を発表し絶賛される |
| 1906年 | 39歳 | 『坊っちゃん』『草枕』などを発表 |
| 1907年 | 40歳 | 大学を辞職して朝日新聞社に入社、職業作家となる |
| 1908年 | 41歳 | 『三四郎』を朝日新聞に連載 |
| 1909年 | 42歳 | 『それから』を朝日新聞に連載 |
| 1910年 | 43歳 | 『門』の連載後、静養先の修善寺で大吐血し危篤状態となる(修善寺の難) |
| 1911年 | 44歳 | 文部省からの文学博士号授与を辞退 |
| 1912年 | 45歳 | 『彼岸過迄』『行人』の連載を開始 |
| 1914年 | 47歳 | 『心』(『こころ』)を朝日新聞に連載 |
| 1915年 | 48歳 | 自伝的小説『道草』を朝日新聞に連載 |
| 1916年 | 49歳 | 『明暗』執筆途中の12月9日、胃潰瘍のため死去 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1931年 | 0歳 | 誕生(大阪府大阪市) |
| 1949年 | 18歳 | 京都大学文学部に入学 |
| 1954年 | 23歳 | 京都大学卒業後、経済誌記者や漫才台本執筆などを経験 |
| 1962年 | 31歳 | 「易仙逃里記」でSF作家としてプロデビュー |
| 1963年 | 32歳 | 初の長編SF小説『日本アパッチ族』を刊行 |
| 1964年 | 33歳 | 長編小説『復活の日』を刊行 |
| 1965年 | 34歳 | 長編小説『果しなき流れの果に』を刊行 |
| 1966年 | 35歳 | 長編小説『エスパイ』を刊行 |
| 1970年 | 39歳 | 日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館サブプロデューサーを務める |
| 1973年 | 42歳 | 『日本沈没』を刊行し大ベストセラーに。第27回日本推理作家協会賞を受賞 |
| 1977年 | 46歳 | 『ゴルディアスの結び目』で第8回星雲賞を受賞 |
| 1980年 | 49歳 | 小説『復活の日』が実写映画化され公開 |
| 1982年 | 51歳 | 日本SF作家クラブ第3代会長に就任 |
| 1985年 | 54歳 | 『首都消失』を刊行し第6回日本SF大賞を受賞。つくば万博テーマ館プロデューサーを務める |
| 1990年 | 59歳 | 国際花と緑の博覧会(花博)で総合プロデューサーを務める |
| 1995年 | 64歳 | 阪神・淡路大震災に遭遇し、被災地支援や提言活動に尽力 |
| 2000年 | 69歳 | 新人SF作家の発掘を目的とした「小松左京賞」が創設される |
| 2006年 | 75歳 | 谷甲州との共著『日本沈没 第二部』を刊行 |
| 2007年 | 76歳 | アジア初の世界SF大会(NIPPON2007)で名誉客員を務める |
| 2011年 | 80歳 | 肺炎のため死去。日本SF大賞特別賞を受賞 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1901年 | 0歳 | イリノイ州シカゴで誕生 |
| 1906年 | 5歳 | ミズーリ州マーセリーンの農場へ移住 |
| 1918年 | 17歳 | 第一次世界大戦中に赤十字の救急部隊としてフランスへ派遣 |
| 1920年 | 19歳 | アブ・アイワークスとともに「アイワークス・ディズニー商会」を設立 |
| 1922年 | 21歳 | カンザスシティで「ラフォグラム・フィルム社」を設立 |
| 1923年 | 22歳 | ハリウッドへ移住し、兄ロイとともに「ディズニー・ブラザーズ・プロダクション」(現ウォルト・ディズニー・カンパニー)を設立 |
| 1925年 | 24歳 | リリアン・バウンズと結婚 |
| 1927年 | 26歳 | 『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』を制作・公開 |
| 1928年 | 27歳 | ミッキーマウスのデビュー作となるトーキーアニメ『蒸気船ウィリー』を公開 |
| 1929年 | 28歳 | 『シリー・シンフォニー』シリーズの第1作『スケルトン・ダンス』を公開 |
| 1932年 | 31歳 | 『花と木』で初のアカデミー短編アニメ賞を受賞 |
| 1937年 | 36歳 | 世界初の長編フルカラーアニメーション映画『白雪姫』を公開し大ヒット |
| 1940年 | 39歳 | 長編アニメ『ピノキオ』『ファンタジア』を公開、スタジオをバーバンクに移転 |
| 1941年 | 40歳 | ディズニー・スタジオで大規模な労働ストライキが発生、『ダンボ』を公開 |
| 1950年 | 49歳 | 『シンデレラ』および初の全編実写映画『宝島』を公開 |
| 1952年 | 51歳 | テーマパーク開発会社「WEDプロダクションズ」(現ウォルト・ディズニー・イマジニアリング)を設立 |
| 1955年 | 54歳 | カリフォルニア州アナハイムに「ディズニーランド」を開園 |
| 1964年 | 63歳 | 実写とアニメを融合させた映画『メリー・ポピンズ』を公開し、アカデミー賞5部門を受賞 |
| 1965年 | 64歳 | フロリダでの新プロジェクト(後のウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート)を正式発表 |
| 1966年 | 65歳 | 12月15日、肺がんのため死去 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1917年 | 0歳 | 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれる |
| 1931年 | 14歳 | 泰明小学校夜間部を卒業後、服飾品店などで働く |
| 1939年 | 22歳 | 徴兵検査を経て大日本帝国陸軍に入隊 |
| 1945年 | 28歳 | 太平洋戦争終戦に伴い復員 |
| 1946年 | 29歳 | アーニー・パイル劇場(旧宝塚劇場)のステージハンズ(舞台スタッフ)となる |
| 1949年 | 32歳 | 映画『歌の明星』で映画初出演 |
| 1951年 | 34歳 | 「トニー谷」と名乗り、そろばんを持ち洋楽風拍子で喋る独特の司会スタイルを確立 |
| 1952年 | 35歳 | シングル『レディス&ジェントルメン』で歌手デビュー |
| 1953年 | 36歳 | ラジオ番組『トニーのあんたのお名前何てぇの』の司会を務め大ヒット |
| 1953年 | 36歳 | 「あなたのお名前何てぇの」「ザッツ・アプレゲール」などのフレーズが流行語になる |
| 1954年 | 37歳 | 映画『トニー谷の近々ごさいさつ』で主演を務める |
| 1955年 | 38歳 | 長男が誘拐される「トニー谷長男誘拐事件」が発生(数日後に無事保護) |
| 1955年 | 38歳 | 事件時の過激な報道や世間からの反発により人気が急速に激減 |
| 1965年 | 48歳 | 日本テレビ『アベック歌合戦』の司会に抜擢され、「あなたのお名前何てぇの」で再ブレイク |
| 1968年 | 51歳 | 『アベック歌合戦』が放送終了 |
| 1979年 | 62歳 | 赤塚不二夫らの協力でアルバム『トニー谷 赤塚不二夫に大いに語る』を制作し再評価を受ける |
| 1987年 | 70歳 | 7月16日、肝臓がんのため69歳で死去 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1935年 | 0歳 | フランスのソーにて誕生 |
| 1952年 | 17歳 | フランス海軍に入隊(第一次インドシナ戦争に従軍) |
| 1957年 | 22歳 | 映画『女が事件にからむ時』で俳優デビュー |
| 1958年 | 23歳 | 『花の下のすみれ』で共演したロミー・シュナイダーと婚約 |
| 1960年 | 25歳 | 主演映画『太陽がいっぱい』が大ヒットし、世界的なスターとなる |
| 1963年 | 28歳 | 映画『山猫』に出演し、ゴールデングローブ賞新人男優賞にノミネート |
| 1964年 | 29歳 | ナタリー・バルテルミーと結婚、映画制作会社アデル・プロダクションを設立 |
| 1967年 | 32歳 | 主演映画『サムライ』が公開される |
| 1968年 | 33歳 | ナタリーと離婚、マルコヴィッチ事件(ボディーガード殺人事件)に巻き込まれ話題となる |
| 1969年 | 34歳 | 主演・制作を務めた映画『ボルサリーノ』が大ヒット |
| 1973年 | 38歳 | 歌手ダリダとのデュエット曲『あまい囁き』が大ヒット |
| 1976年 | 41歳 | 主演・プロデュース映画『ムシュー・クライン』がセザール賞作品賞を受賞 |
| 1985年 | 50歳 | 映画『私たちの物語』でセザール賞 主演男優賞を受賞 |
| 1995年 | 60歳 | ベルリン国際映画祭で金熊名誉賞を受賞 |
| 1998年 | 63歳 | 映画『ハーフ・ア・チャンス』でジャン=ポール・ベルモンドと28年ぶりに共演 |
| 2005年 | 70歳 | レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)を受章 |
| 2019年 | 84歳 | カンヌ国際映画祭で名誉パルム・ドールを受賞 |
| 2024年 | 89歳 | 89歳で死去 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1991年 | 0歳 | 徳島県にて誕生 |
| 2006年 | 15歳 | 中学3年生の時にバンド「Late Rabbit Edd」を結成 |
| 2009年 | 18歳 | 「ハチ」名義でニコニコ動画にVOCALOID楽曲の投稿を開始 |
| 2010年 | 19歳 | 自主制作アルバム『花束と水葬』を発売、「マトリョシカ」を発表 |
| 2011年 | 20歳 | インディーズレーベル「Balloom」の発足に参加 |
| 2012年 | 21歳 | 本名「米津玄師」名義で1stアルバム『diorama』をリリース |
| 2013年 | 22歳 | シングル「サンタマリア」でメジャーデビュー |
| 2014年 | 23歳 | 2ndアルバム『YANKEE』をリリース |
| 2015年 | 24歳 | 3rdアルバム『Bremen』で初のオリコン週間アルバムランキング1位を獲得 |
| 2016年 | 25歳 | ソニー・ミュージックレコーズに移籍、シングル「LOSER/ナンバーナイン」をリリース |
| 2017年 | 26歳 | DAOKO×米津玄師「打上花火」を発表、4thアルバム『BOOTLEG』をリリース |
| 2018年 | 27歳 | ドラマ主題歌「Lemon」が大ヒットを記録、『第69回NHK紅白歌合戦』に初出場 |
| 2019年 | 28歳 | 楽曲提供したFoorin「パプリカ」が日本レコード大賞を受賞、シングル「馬と鹿」をリリース |
| 2020年 | 29歳 | 5thアルバム『STRAY SHEEP』をリリースし、平成生まれ初のダブルミリオンを達成 |
| 2021年 | 30歳 | シングル「Pale Blue」をリリース |
| 2022年 | 31歳 | アニメ『チェンソーマン』OP曲「KICK BACK」をリリース(のちに全米レコード協会ゴールド認定) |
| 2023年 | 32歳 | 宮崎駿監督映画『君たちはどう生きるか』主題歌「地球儀」をリリース |
| 2024年 | 33歳 | 6thアルバム『LOST CORNER』をリリース |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1971年 | 0歳 | スコットランド・パースにて誕生 |
| 1989年 | 18歳 | ギルドホール音楽演劇学校に入学して演劇を学ぶ |
| 1993年 | 22歳 | TVドラマ『Lipstick on Your Collar』で主演を務めデビュー |
| 1994年 | 23歳 | 映画『シャロウ・グレイブ』で映画初主演を務め注目を集める |
| 1995年 | 24歳 | 美術監督のイヴ・マヴラキスと結婚 |
| 1996年 | 25歳 | 主演映画『トレインスポッティング』が大ヒットし国際的評価を獲得 |
| 1998年 | 27歳 | 映画『ベルベット・ゴールドマイン』に出演 |
| 1999年 | 28歳 | 『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で若きオビ=ワン・ケノービ役に抜擢 |
| 2001年 | 30歳 | 映画『ムーラン・ルージュ』に主演しゴールデングローブ賞ノミネート |
| 2003年 | 32歳 | ティム・バートン監督の映画『ビッグ・フィッシュ』に主演 |
| 2004年 | 33歳 | バイクで世界一周の旅を行いドキュメンタリー『Long Way Round』を制作 |
| 2005年 | 34歳 | 『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』に出演 |
| 2007年 | 36歳 | バイクでスコットランドから南アフリカまでの縦断旅『Long Way Down』を行う |
| 2010年 | 39歳 | 映画『ゴーストライター』でヨーロッパ映画賞男優賞を受賞 |
| 2012年 | 41歳 | 映画界への貢献により大英帝国勲章(OBE)を受章 |
| 2016年 | 45歳 | 映画『アメリカン・バーニング』で初監督を務め、自ら主演も兼任 |
| 2017年 | 46歳 | 続編映画『T2 トレインスポッティング』公開、ドラマ『ファーゴ』でゴールデングローブ賞受賞 |
| 2018年 | 47歳 | 映画『プーと大人になった僕』でクリストファー・ロビン役を演じる |
| 2019年 | 48歳 | 映画『ドクター・スリープ』で主人公ダニー・トランス役を務める |
| 2021年 | 50歳 | ドラマ『ホルストン』でエミー賞主演男優賞を受賞 |
| 2022年 | 51歳 | 女優メアリー・エリザベス・ウィンステッドと再婚、ドラマ『オビ=ワン・ケノービ』で主演・製作総指揮 |
| 2024年 | 53歳 | ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1928年 | 0歳 | イリノイ州シカゴで誕生 |
| 1947年 | 19歳 | バークレー高校を卒業 |
| 1948年 | 20歳 | ジャネット・マーリンと最初の結婚 |
| 1949年 | 21歳 | カリフォルニア大学バークレー校に入学(のちに中退) |
| 1950年 | 22歳 | クレオ・アポストリデスと2度目の結婚 |
| 1952年 | 24歳 | 短編『ルーバ』が雑誌に掲載されプロのSF作家としてデビュー |
| 1955年 | 27歳 | 最初の長編小説『太陽系宇宙船』を刊行 |
| 1959年 | 31歳 | アン・ウィリアムズ・ルービンスタインと3度目の結婚 |
| 1962年 | 34歳 | 代表作『高い城の男』を刊行 |
| 1963年 | 35歳 | 『高い城の男』でヒューゴー賞長編小説部門を受賞 |
| 1967年 | 39歳 | ナンシー・ハケットと4度目の結婚 |
| 1968年 | 40歳 | 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を刊行 |
| 1969年 | 41歳 | 『ユービック』を刊行 |
| 1971年 | 43歳 | 自宅が侵入盗難事件に遭い精神的ショックを受ける |
| 1972年 | 44歳 | バンクーバーのSFコンベンションに参加後、自殺未遂を経て薬物更生施設に入所 |
| 1973年 | 45歳 | レスリー・バスビーと5度目の結婚 |
| 1974年 | 46歳 | 神秘体験(「2-3-74」体験)を経験し、後の作風に決定的影響を与える |
| 1977年 | 49歳 | 『暗闇のスキャナー』を刊行 |
| 1981年 | 53歳 | 『ヴァリス』を刊行。映画『ブレードランナー』の試写映像を鑑賞 |
| 1982年 | 54歳 | 脳卒中の発作により死去。同年、原作映画『ブレードランナー』が公開 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1971年 | 0歳 | 南アフリカ共和国のプレトリアで誕生 |
| 1983年 | 12歳 | 自作のビデオゲーム「Blastar」のソースコードを売却 |
| 1989年 | 18歳 | カナダへ移住し、クイーンズ大学に入学 |
| 1992年 | 21歳 | アメリカのペンシルベニア大学へ編入 |
| 1995年 | 24歳 | スタンフォード大学大学院を中退し、弟とZip2を設立 |
| 1999年 | 28歳 | Zip2を売却し、オンライン金融サービスX.comを設立 |
| 2000年 | 29歳 | X.comがコンフィニティと合併 |
| 2001年 | 30歳 | 合併会社が社名をPayPalに変更 |
| 2002年 | 31歳 | 宇宙輸送会社スペースXを設立。PayPalがeBayに買収される |
| 2004年 | 33歳 | テスラ・モータースに出資し、会長に就任 |
| 2006年 | 35歳 | 太陽光発電会社ソーラーシティの設立を支援 |
| 2008年 | 37歳 | テスラのCEOに就任。スペースXのファルコン1が民間初の液体燃料ロケットとして軌道投入に成功 |
| 2012年 | 41歳 | スペースXのドラゴン宇宙船が民間機として初めて国際宇宙ステーション(ISS)にドッキング |
| 2015年 | 44歳 | 非営利の人工知能研究機関OpenAIを共同設立 |
| 2016年 | 45歳 | NeuralinkおよびThe Boring Companyを設立 |
| 2020年 | 49歳 | スペースXのクルードラゴンにより民間企業として初の有人宇宙飛行に成功 |
| 2021年 | 50歳 | タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選出される |
| 2022年 | 51歳 | Twitter(現X)を約440億ドルで買収 |
| 2023年 | 52歳 | 人工知能企業xAIを設立 |
| 2024年 | 53歳 | 米大統領選でトランプ氏を支援し、政府効率化省(DOGE)の共同率役に指名される |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1976年 | 0歳 | アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスで誕生 |
| 1990年 | 14歳 | タクシーなどの運行管理用オープンソースソフトウェアを開発 |
| 1995年 | 19歳 | ミズーリ科学技術大学に入学 |
| 1997年 | 21歳 | ニューヨーク大学(NYU)へ転入(後に中退) |
| 2000年 | 24歳 | Webベースのリアルタイム派遣管理サービス会社を設立 |
| 2006年 | 30歳 | Twitterの前身となるサービスを立ち上げ、世界初のツイートを投稿 |
| 2007年 | 31歳 | Twitter社の最高経営責任者(CEO)に就任 |
| 2008年 | 32歳 | Twitter社のCEOを退任し、取締役会長に就任 |
| 2009年 | 33歳 | モバイル決済企業Square(現Block)を共同設立し、CEOに就任 |
| 2012年 | 36歳 | ウォール・ストリート・ジャーナル紙の「イノベーター・オブ・ザ・イヤー」を受賞 |
| 2013年 | 37歳 | Twitter社がニューヨーク証券取引所に上場。ウォルト・ディズニー・カンパニーの取締役に就任 |
| 2015年 | 39歳 | Twitter社のCEOに復帰(Square社と2社のCEOを兼任) |
| 2018年 | 42歳 | ウォルト・ディズニー・カンパニーの取締役を退任 |
| 2019年 | 43歳 | 分散型SNSプロトコルのオープンソースプロジェクト「Bluesky」を発足 |
| 2020年 | 44歳 | COVID-19支援や社会的事業のため、個人資産の約28%にあたる10億ドルを寄付 |
| 2021年 | 45歳 | 自身の世界初ツイート(NFT)を約290万ドルで売却。Twitter社のCEOを辞任し、Square社名を「Block」に変更 |
| 2022年 | 46歳 | Twitter社の取締役会から完全に退任 |
| 2024年 | 48歳 | Blueskyの取締役会から離脱 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1935年 | 0歳 | ニューヨーク市ブルックリンに生まれる(本名:アラン・スチュアート・コニグズバーグ) |
| 1950年 | 15歳 | 筆名「ウディ・アレン」を使い始め、新聞コラムなどにジョークの投稿を開始 |
| 1953年 | 18歳 | ニューヨーク大学に入学(後に退学) |
| 1956年 | 21歳 | ハーリーン・ローゼンと結婚 |
| 1960年 | 25歳 | スタンドアップ・コメディアンとしてナイトクラブ等で活動を開始 |
| 1965年 | 30歳 | 映画『何かいいことないか子猫ちゃん』で脚本家・俳優としてデビュー |
| 1966年 | 31歳 | 『ホワッツ・アップ、タイガー・リリー?』で初監督 / ルイーズ・ラサーと再婚 |
| 1969年 | 34歳 | 『泥棒野郎』で本格的な単独映画監督デビュー |
| 1977年 | 42歳 | 『アニー・ホール』でアカデミー監督賞および脚本賞を受賞 |
| 1979年 | 44歳 | 代表作となる映画『マンハッタン』を監督・主演 |
| 1980年 | 45歳 | 女優ミア・ファローとのパートナーシップおよび共同制作を開始 |
| 1986年 | 51歳 | 『ハンナとその姉妹』で自身2度目となるアカデミー脚本賞を受賞 |
| 1989年 | 54歳 | 『ウディ・アレンの犯罪と非行』を監督・主演 |
| 1992年 | 57歳 | ミア・ファローと破局 |
| 1997年 | 62歳 | スーン=イー・プレヴィンと結婚 |
| 2005年 | 70歳 | ロンドンを舞台とした『マッチポイント』を公開し批評的・商業的成功を収める |
| 2011年 | 76歳 | 『ミッドナイト・イン・パリ』で3度目のアカデミー脚本賞を受賞 |
| 2013年 | 78歳 | 『ブルージャスミン』を監督 |
| 2014年 | 79歳 | ゴールデングローブ賞セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)を受賞 |
| 2020年 | 85歳 | 自伝『Apropos of Nothing』を執筆・出版 |
| 2023年 | 88歳 | 通算50作目の長編監督作『クードゥ・シャンス』をヴェネツィア国際映画祭で発表 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1956年 | 0歳 | 神奈川県茅ヶ崎市に誕生 |
| 1977年 | 21歳 | バンド「サザンオールスターズ」を結成し、EastWest '77でベストボーカル賞を受賞 |
| 1978年 | 22歳 | サザンオールスターズとしてシングル「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー |
| 1979年 | 23歳 | 「いとしのエリー」が大ヒットを記録 |
| 1982年 | 26歳 | サザンオールスターズのキーボード担当・原由子と結婚 |
| 1986年 | 30歳 | 期間限定バンド「KUWATA BAND」を結成し活動 |
| 1987年 | 31歳 | シングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でソロデビュー |
| 1988年 | 32歳 | 初のソロアルバム『Keisuke Kuwata』をリリース |
| 1990年 | 34歳 | 初監督・音楽を手掛けた映画『稲村ジェーン』が公開 |
| 1993年 | 37歳 | エイズ啓発活動「Act Against AIDS (AAA)」コンサートを開始 |
| 1994年 | 38歳 | 2ndソロアルバム『孤独の太陽』をリリース |
| 2000年 | 44歳 | サザンオールスターズの「TSUNAMI」がダブルミリオンを記録し、第42回日本レコード大賞を受賞 |
| 2001年 | 45歳 | ソロシングル「波乗りジョニー」「白い恋人たち」が2作連続でミリオンセラーを記録 |
| 2002年 | 46歳 | 3rdソロアルバム『ROCK AND ROLL HERO』をリリース |
| 2007年 | 51歳 | ソロシングル「明日晴れるかな」が大ヒット |
| 2008年 | 52歳 | サザンオールスターズ結成30周年を機に無期限活動休止を発表 |
| 2010年 | 54歳 | 食道がんを公表し治療に専念、同年末のNHK紅白歌合戦で復帰 |
| 2011年 | 55歳 | 4thソロアルバム『MUSICMAN』をリリース、東日本大震災復興支援ライブを開催 |
| 2013年 | 57歳 | サザンオールスターズが結成35周年で活動再開 |
| 2014年 | 58歳 | 紫綬褒章を受章 |
| 2017年 | 61歳 | 5thソロアルバム『がらくた』をリリースし、ソロ30周年5大ドームツアーを開催 |
| 2021年 | 65歳 | ソロ作品『ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼き feat. 梅干し』をリリースし、全国アリーナツアーを開催 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1967年 | 0歳 | 西ドイツのフランクフルト・アム・マインで誕生 |
| 1985年 | 18歳 | スタンフォード大学に入学 |
| 1987年 | 20歳 | 保守派学生新聞『スタンフォード・レビュー』を創刊 |
| 1989年 | 22歳 | スタンフォード大学で哲学の学士号(B.A.)を取得 |
| 1992年 | 25歳 | スタンフォード・ロースクールで法学博士号(J.D.)を取得 |
| 1993年 | 26歳 | クレアリー・ゴットリーブ法律事務所で弁護士として勤務 |
| 1996年 | 29歳 | ティール・キャピタル・マネジメントを設立 |
| 1998年 | 31歳 | マックス・レヴチンらとコンフィニティ社(後のPayPal)を共同設立 |
| 1999年 | 32歳 | オンライン決済サービス「PayPal」を開始 |
| 2000年 | 33歳 | コンフィニティ社がイーロン・マスクのX.com社と合併 |
| 2002年 | 35歳 | PayPalをeBayに売却し、ヘッジファンド「クラリアム・キャピタル」を設立 |
| 2003年 | 36歳 | データ分析企業「パランティア・テクノロジーズ」を共同設立 |
| 2004年 | 37歳 | Facebook(現Meta)に初の外部投資家として50万ドルを出資し取締役に就任 |
| 2005年 | 38歳 | ベンチャーキャピタル「ファウンダーズ・ファンド」を共同設立 |
| 2010年 | 43歳 | 若手起業家支援プログラム「ティール・フェローシップ」を創設 |
| 2012年 | 45歳 | Facebookの上場に伴い、同社株式の大部分を売却 |
| 2014年 | 47歳 | 著書『Zero to One(ゼロ・トゥ・ワン)』を出版しベストセラーとなる |
| 2016年 | 49歳 | 共和党全国大会で演説しドナルド・トランプ支持を表明 |
| 2020年 | 53歳 | 共同創業者を務めるパランティア・テクノロジーズがニューヨーク証券取引所に上場 |
| 2022年 | 55歳 | Meta(旧Facebook)の社外取締役を退任 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1945年 | 0歳 | 福岡県福岡市に誕生 |
| 1965年 | 20歳 | 早稲田大学第二文学部に入学 |
| 1975年 | 30歳 | 上京し、赤塚不二夫らの支援を受け芸能界活動を開始 |
| 1976年 | 31歳 | 『タモリのオールナイトニッポン』が放送開始され本格的にプロデビュー |
| 1981年 | 36歳 | 冠番組『今夜は最高!』放送開始 |
| 1982年 | 37歳 | 『森田一義アワー 笑っていいとも!』および『タモリ倶楽部』放送開始 |
| 1983年 | 38歳 | 『第34回NHK紅白歌合戦』でゲスト司会を担当 |
| 1987年 | 42歳 | 『ミュージックステーション』の2代目MCに就任 |
| 1990年 | 45歳 | 『世にも奇妙な物語』のストーリーテラーに就任 |
| 1992年 | 47歳 | 『タモリのボキャブラ天国』放送開始 |
| 2002年 | 57歳 | 『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で品評会会長を務める |
| 2008年 | 63歳 | 『ブラタモリ』パイロット版が放送 |
| 2009年 | 64歳 | 『ブラタモリ』レギュラー放送開始 |
| 2012年 | 67歳 | 『笑っていいとも!』での「生放送単独司会最高記録」としてギネス世界記録認定 |
| 2014年 | 69歳 | 『森田一義アワー 笑っていいとも!』が31年半の歴史に幕を下ろし放送終了 |
| 2015年 | 70歳 | 『ブラタモリ』が全国放送のレギュラー番組として再開 |
| 2021年 | 76歳 | 『ミュージックステーション』で「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」としてギネス世界記録認定 |
| 2023年 | 78歳 | 『タモリ倶楽部』が40年半の歴史に幕を下ろし放送終了 |
| 2024年 | 79歳 | 『ブラタモリ』レギュラー放送終了 |
| 西暦 | 年齢 | イベント |
|---|---|---|
| 1956年 | 0歳 | アメリカ合衆国カリフォルニア州コンコードで誕生 |
| 1977年 | 21歳 | 舞台『じゃじゃ馬ならし』で本格的に演技を開始 |
| 1980年 | 24歳 | 映画『血ぬられた花嫁』で映画デビュー |
| 1984年 | 28歳 | 主演映画『スプラッシュ』が大ヒットし注目を集める |
| 1988年 | 32歳 | リタ・ウィルソンと再婚。映画『ビッグ』でアカデミー主演男優賞に初ノミネート |
| 1993年 | 37歳 | 映画『フィラデルフィア』でアカデミー主演男優賞を初受賞 |
| 1994年 | 38歳 | 映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』で2年連続となるアカデミー主演男優賞を受賞 |
| 1995年 | 39歳 | アニメ映画『トイ・ストーリー』で主人公ウッディの声優を務める |
| 1996年 | 40歳 | 映画『すべてをあなたに』で映画監督・脚本家デビュー |
| 1998年 | 42歳 | 映画『プライベート・ライアン』に主演 |
| 1999年 | 43歳 | 映画『グリーンマイル』に主演 |
| 2000年 | 44歳 | 映画『キャスト・アウェイ』に主演しゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞 |
| 2001年 | 45歳 | TVミニシリーズ『バンド・オブ・ブラザース』で製作総指揮・監督・脚本を務める |
| 2002年 | 46歳 | AFI(アメリカ映画協会)生涯功労賞を受賞 |
| 2004年 | 48歳 | 映画『ターミナル』に主演 |
| 2006年 | 50歳 | 映画『ダ・ヴィンチ・コード』で主人公ロバート・ラングドン役を演じる |
| 2013年 | 57歳 | 舞台『ラッキー・ガイ』でブロードウェイデビューし、トニー賞主演男優賞にノミネート |
| 2016年 | 60歳 | 映画『ハドソン川の奇跡』に主演。大統領自由勲章を受章 |
| 2019年 | 63歳 | 映画『ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド』でアカデミー助演男優賞にノミネート |
| 2020年 | 64歳 | ゴールデングローブ賞 セシル・B・デミル賞(生涯功労賞)を受賞 |
| 2022年 | 66歳 | 映画『エルヴィス』でトム・パーカー大佐役を演じる |