| つげ義春 - イベント | 西暦 | 年齢 | 西暦 | 小津安二郎 - イベント |
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東京府東京市葛飾区立石町に生まれる
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1937年
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0歳
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1903年
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東京市深川区(現・東京都江東区)に生まれる
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父・幸次郎が死去
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1942年
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5歳
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10歳
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1913年
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父の郷里である三重県松阪町(現・松阪市)へ転居
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13歳
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1916年
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三重県立宇治山田中学校に入学、映画に熱中する
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めっき工場で働きながら本格的に漫画を描き始める
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1954年
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17歳
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貸本漫画『白面叉手刀』でプロデビュー
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1955年
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18歳
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19歳
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1922年
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三重県飯高郡の宮前尋常高等小学校で代用教員を務める
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20歳
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1923年
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上京し、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社
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23歳
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1926年
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助監督に昇格し、大久保忠素監督に師事
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24歳
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1927年
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時代劇『懺悔の刃』で映画監督デビュー
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『ガロ』に「噂の武士」を発表し寄稿開始、水木しげるのアシスタントとなる
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1965年
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28歳
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『ガロ』に「沼」「チーコ」を発表し、独自の叙情的な作風を確立
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1966年
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29歳
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1932年
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『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』がキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得
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『ガロ』に「紅い花」「李さん一家」を発表
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1967年
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30歳
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『ガロ』に代表作「ねじ式」を発表し、一大センセーションを巻き起こす
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1968年
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31歳
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33歳
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1936年
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自身初のトーキー映画『一人息子』を公開
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34歳
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1937年
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日中戦争の勃発に伴い召集され、中国戦線へ出征
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36歳
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1939年
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軍務を終えて復員
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元状況劇場の女優・藤原マキと結婚
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1974年
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37歳
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長男・正助が誕生
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1975年
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38歳
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1941年
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『戸田家の兄妹』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得
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39歳
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1942年
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『父ありき』を発表、興行的・批評的に高い評価を得る
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40歳
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1943年
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軍報道部員としてシンガポールへ赴く
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初の随筆集『つげ義春とぼく』を刊行
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1979年
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42歳
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43歳
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1946年
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第二次世界大戦終結に伴い日本へ復員
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『必殺するめ固め』など自伝的・私小説的作品を発表
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1981年
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44歳
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46歳
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1949年
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原節子と初タッグを組んだ『晩春』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位
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『COMICばく』に連作「無能の人」シリーズを発表
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1985年
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48歳
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1951年
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『麦秋』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得
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『COMICばく』に「別離」を発表(以後、新作発表が途絶え事実上の休筆)
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1987年
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50歳
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1953年
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代表作となる『東京物語』を発表、国内外で高い評価を受ける
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竹中直人監督・主演により映画『無能の人』が公開される
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1991年
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54歳
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55歳
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1958年
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初のカラー映画『彼岸花』を発表、紫綬褒章を受章
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石井輝男監督により映画『ゲンセンカン主人』が公開される
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1993年
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56歳
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1959年
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映画監督として初となる日本芸術院賞を受賞
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59歳
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1962年
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遺作となる映画『秋刀魚の味』を発表
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60歳
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1963年
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満60歳の誕生日に逝去
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妻・藤原マキが死去
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1999年
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62歳
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第47回アングレーム国際漫画祭で「特別栄誉賞」を受賞
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2020年
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83歳
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| 年齢 | つげ義春 | 小津安二郎 |
|---|---|---|
| 0歳 | 1937年 東京府東京市葛飾区立石町に生まれる | 1903年 東京市深川区(現・東京都江東区)に生まれる |
| 5歳 | 1942年 父・幸次郎が死去 | - |
| 10歳 | - | 1913年 父の郷里である三重県松阪町(現・松阪市)へ転居 |
| 13歳 | - | 1916年 三重県立宇治山田中学校に入学、映画に熱中する |
| 17歳 | 1954年 めっき工場で働きながら本格的に漫画を描き始める | - |
| 18歳 | 1955年 貸本漫画『白面叉手刀』でプロデビュー | - |
| 19歳 | - | 1922年 三重県飯高郡の宮前尋常高等小学校で代用教員を務める |
| 20歳 | - | 1923年 上京し、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社 |
| 23歳 | - | 1926年 助監督に昇格し、大久保忠素監督に師事 |
| 24歳 | - | 1927年 時代劇『懺悔の刃』で映画監督デビュー |
| 28歳 | 1965年 『ガロ』に「噂の武士」を発表し寄稿開始、水木しげるのアシスタントとなる | - |
| 29歳 | 1966年 『ガロ』に「沼」「チーコ」を発表し、独自の叙情的な作風を確立 | 1932年 『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』がキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得 |
| 30歳 | 1967年 『ガロ』に「紅い花」「李さん一家」を発表 | - |
| 31歳 | 1968年 『ガロ』に代表作「ねじ式」を発表し、一大センセーションを巻き起こす | - |
| 33歳 | - | 1936年 自身初のトーキー映画『一人息子』を公開 |
| 34歳 | - | 1937年 日中戦争の勃発に伴い召集され、中国戦線へ出征 |
| 36歳 | - | 1939年 軍務を終えて復員 |
| 37歳 | 1974年 元状況劇場の女優・藤原マキと結婚 | - |
| 38歳 | 1975年 長男・正助が誕生 | 1941年 『戸田家の兄妹』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得 |
| 39歳 | - | 1942年 『父ありき』を発表、興行的・批評的に高い評価を得る |
| 40歳 | - | 1943年 軍報道部員としてシンガポールへ赴く |
| 42歳 | 1979年 初の随筆集『つげ義春とぼく』を刊行 | - |
| 43歳 | - | 1946年 第二次世界大戦終結に伴い日本へ復員 |
| 44歳 | 1981年 『必殺するめ固め』など自伝的・私小説的作品を発表 | - |
| 46歳 | - | 1949年 原節子と初タッグを組んだ『晩春』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位 |
| 48歳 | 1985年 『COMICばく』に連作「無能の人」シリーズを発表 | 1951年 『麦秋』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得 |
| 50歳 | 1987年 『COMICばく』に「別離」を発表(以後、新作発表が途絶え事実上の休筆) | 1953年 代表作となる『東京物語』を発表、国内外で高い評価を受ける |
| 54歳 | 1991年 竹中直人監督・主演により映画『無能の人』が公開される | - |
| 55歳 | - | 1958年 初のカラー映画『彼岸花』を発表、紫綬褒章を受章 |
| 56歳 | 1993年 石井輝男監督により映画『ゲンセンカン主人』が公開される | 1959年 映画監督として初となる日本芸術院賞を受賞 |
| 59歳 | - | 1962年 遺作となる映画『秋刀魚の味』を発表 |
| 60歳 | - | 1963年 満60歳の誕生日に逝去 |
| 62歳 | 1999年 妻・藤原マキが死去 | - |
| 83歳 | 2020年 第47回アングレーム国際漫画祭で「特別栄誉賞」を受賞 | - |
【つげ義春】 東京府東京市葛飾区立石町に生まれる(1937年)
【小津安二郎】 東京市深川区(現・東京都江東区)に生まれる(1903年)
【つげ義春】 父・幸次郎が死去(1942年)
【小津安二郎】 父の郷里である三重県松阪町(現・松阪市)へ転居(1913年)
【小津安二郎】 三重県立宇治山田中学校に入学、映画に熱中する(1916年)
【つげ義春】 めっき工場で働きながら本格的に漫画を描き始める(1954年)
【つげ義春】 貸本漫画『白面叉手刀』でプロデビュー(1955年)
【小津安二郎】 三重県飯高郡の宮前尋常高等小学校で代用教員を務める(1922年)
【小津安二郎】 上京し、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社(1923年)
【小津安二郎】 助監督に昇格し、大久保忠素監督に師事(1926年)
【小津安二郎】 時代劇『懺悔の刃』で映画監督デビュー(1927年)
【つげ義春】 『ガロ』に「噂の武士」を発表し寄稿開始、水木しげるのアシスタントとなる(1965年)
【つげ義春】 『ガロ』に「沼」「チーコ」を発表し、独自の叙情的な作風を確立(1966年)
【小津安二郎】 『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』がキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得(1932年)
【つげ義春】 『ガロ』に「紅い花」「李さん一家」を発表(1967年)
【つげ義春】 『ガロ』に代表作「ねじ式」を発表し、一大センセーションを巻き起こす(1968年)
【小津安二郎】 自身初のトーキー映画『一人息子』を公開(1936年)
【小津安二郎】 日中戦争の勃発に伴い召集され、中国戦線へ出征(1937年)
【小津安二郎】 軍務を終えて復員(1939年)
【つげ義春】 元状況劇場の女優・藤原マキと結婚(1974年)
【つげ義春】 長男・正助が誕生(1975年)
【小津安二郎】 『戸田家の兄妹』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得(1941年)
【小津安二郎】 『父ありき』を発表、興行的・批評的に高い評価を得る(1942年)
【小津安二郎】 軍報道部員としてシンガポールへ赴く(1943年)
【つげ義春】 初の随筆集『つげ義春とぼく』を刊行(1979年)
【小津安二郎】 第二次世界大戦終結に伴い日本へ復員(1946年)
【つげ義春】 『必殺するめ固め』など自伝的・私小説的作品を発表(1981年)
【小津安二郎】 原節子と初タッグを組んだ『晩春』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位(1949年)
【つげ義春】 『COMICばく』に連作「無能の人」シリーズを発表(1985年)
【小津安二郎】 『麦秋』を発表、キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得(1951年)
【つげ義春】 『COMICばく』に「別離」を発表(以後、新作発表が途絶え事実上の休筆)(1987年)
【小津安二郎】 代表作となる『東京物語』を発表、国内外で高い評価を受ける(1953年)
【つげ義春】 竹中直人監督・主演により映画『無能の人』が公開される(1991年)
【小津安二郎】 初のカラー映画『彼岸花』を発表、紫綬褒章を受章(1958年)
【つげ義春】 石井輝男監督により映画『ゲンセンカン主人』が公開される(1993年)
【小津安二郎】 映画監督として初となる日本芸術院賞を受賞(1959年)
【小津安二郎】 遺作となる映画『秋刀魚の味』を発表(1962年)
【小津安二郎】 満60歳の誕生日に逝去(1963年)
【つげ義春】 妻・藤原マキが死去(1999年)
【つげ義春】 第47回アングレーム国際漫画祭で「特別栄誉賞」を受賞(2020年)