| フィリップ・K・ディック - イベント | 西暦 | 年齢 | 西暦 | 小松左京 - イベント |
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イリノイ州シカゴで誕生
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1928年
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0歳
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1931年
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誕生(大阪府大阪市)
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18歳
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1949年
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京都大学文学部に入学
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バークレー高校を卒業
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1947年
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19歳
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ジャネット・マーリンと最初の結婚
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1948年
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20歳
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カリフォルニア大学バークレー校に入学(のちに中退)
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1949年
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21歳
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クレオ・アポストリデスと2度目の結婚
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1950年
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22歳
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23歳
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1954年
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京都大学卒業後、経済誌記者や漫才台本執筆などを経験
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短編『ルーバ』が雑誌に掲載されプロのSF作家としてデビュー
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1952年
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24歳
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最初の長編小説『太陽系宇宙船』を刊行
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1955年
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27歳
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アン・ウィリアムズ・ルービンスタインと3度目の結婚
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1959年
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31歳
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1962年
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「易仙逃里記」でSF作家としてプロデビュー
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32歳
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1963年
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初の長編SF小説『日本アパッチ族』を刊行
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33歳
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1964年
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長編小説『復活の日』を刊行
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代表作『高い城の男』を刊行
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1962年
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34歳
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1965年
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長編小説『果しなき流れの果に』を刊行
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『高い城の男』でヒューゴー賞長編小説部門を受賞
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1963年
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35歳
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1966年
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長編小説『エスパイ』を刊行
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ナンシー・ハケットと4度目の結婚
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1967年
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39歳
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1970年
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日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館サブプロデューサーを務める
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『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を刊行
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1968年
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40歳
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『ユービック』を刊行
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1969年
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41歳
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42歳
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1973年
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『日本沈没』を刊行し大ベストセラーに。第27回日本推理作家協会賞を受賞
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自宅が侵入盗難事件に遭い精神的ショックを受ける
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1971年
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43歳
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バンクーバーのSFコンベンションに参加後、自殺未遂を経て薬物更生施設に入所
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1972年
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44歳
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レスリー・バスビーと5度目の結婚
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1973年
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45歳
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神秘体験(「2-3-74」体験)を経験し、後の作風に決定的影響を与える
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1974年
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46歳
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1977年
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『ゴルディアスの結び目』で第8回星雲賞を受賞
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『暗闇のスキャナー』を刊行
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1977年
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49歳
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1980年
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小説『復活の日』が実写映画化され公開
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51歳
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1982年
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日本SF作家クラブ第3代会長に就任
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『ヴァリス』を刊行。映画『ブレードランナー』の試写映像を鑑賞
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1981年
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53歳
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脳卒中の発作により死去。同年、原作映画『ブレードランナー』が公開
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1982年
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54歳
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1985年
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『首都消失』を刊行し第6回日本SF大賞を受賞。つくば万博テーマ館プロデューサーを務める
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59歳
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1990年
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国際花と緑の博覧会(花博)で総合プロデューサーを務める
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64歳
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1995年
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阪神・淡路大震災に遭遇し、被災地支援や提言活動に尽力
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69歳
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2000年
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新人SF作家の発掘を目的とした「小松左京賞」が創設される
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75歳
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2006年
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谷甲州との共著『日本沈没 第二部』を刊行
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76歳
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2007年
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アジア初の世界SF大会(NIPPON2007)で名誉客員を務める
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80歳
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2011年
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肺炎のため死去。日本SF大賞特別賞を受賞
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| 年齢 | フィリップ・K・ディック | 小松左京 | 夏目漱石 |
|---|---|---|---|
| 0歳 | 1928年 イリノイ州シカゴで誕生 | 1931年 誕生(大阪府大阪市) | 1867年 江戸の牛込馬場下横町にて誕生(本名:金之助) |
| 1歳 | - | - | 1868年 塩原昌之助の養子となる |
| 14歳 | - | - | 1881年 東京府第一中学校を退学し、漢学塾二松学舎に入塾 |
| 17歳 | - | - | 1884年 第一高等中学校予科に入学 |
| 18歳 | - | 1949年 京都大学文学部に入学 | - |
| 19歳 | 1947年 バークレー高校を卒業 | - | - |
| 20歳 | 1948年 ジャネット・マーリンと最初の結婚 | - | - |
| 21歳 | 1949年 カリフォルニア大学バークレー校に入学(のちに中退) | - | - |
| 22歳 | 1950年 クレオ・アポストリデスと2度目の結婚 | - | 1889年 正岡子規と出会い、初めて「漱石」の号を使用 |
| 23歳 | - | 1954年 京都大学卒業後、経済誌記者や漫才台本執筆などを経験 | 1890年 帝国大学文科大学英文学科に入学 |
| 24歳 | 1952年 短編『ルーバ』が雑誌に掲載されプロのSF作家としてデビュー | - | - |
| 26歳 | - | - | 1893年 帝国大学文科大学を卒業し、東京高等師範学校の英語教師となる |
| 27歳 | 1955年 最初の長編小説『太陽系宇宙船』を刊行 | - | - |
| 28歳 | - | - | 1895年 愛媛県尋常中学校(松山中学)の英語教師として赴任 |
| 29歳 | - | - | 1896年 熊本の第五高等学校教授に着任。中根鏡子と結婚 |
| 31歳 | 1959年 アン・ウィリアムズ・ルービンスタインと3度目の結婚 | 1962年 「易仙逃里記」でSF作家としてプロデビュー | - |
| 32歳 | - | 1963年 初の長編SF小説『日本アパッチ族』を刊行 | - |
| 33歳 | - | 1964年 長編小説『復活の日』を刊行 | 1900年 文部省留学生としてイギリス・ロンドンへ留学 |
| 34歳 | 1962年 代表作『高い城の男』を刊行 | 1965年 長編小説『果しなき流れの果に』を刊行 | - |
| 35歳 | 1963年 『高い城の男』でヒューゴー賞長編小説部門を受賞 | 1966年 長編小説『エスパイ』を刊行 | - |
| 36歳 | - | - | 1903年 イギリスより帰国し、東京帝国大学講師および第一高等学校講師に就任 |
| 38歳 | - | - | 1905年 『ホトトギス』に処女作『吾輩は猫である』を発表し絶賛される |
| 39歳 | 1967年 ナンシー・ハケットと4度目の結婚 | 1970年 日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館サブプロデューサーを務める | 1906年 『坊っちゃん』『草枕』などを発表 |
| 40歳 | 1968年 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を刊行 | - | 1907年 大学を辞職して朝日新聞社に入社、職業作家となる |
| 41歳 | 1969年 『ユービック』を刊行 | - | 1908年 『三四郎』を朝日新聞に連載 |
| 42歳 | - | 1973年 『日本沈没』を刊行し大ベストセラーに。第27回日本推理作家協会賞を受賞 | 1909年 『それから』を朝日新聞に連載 |
| 43歳 | 1971年 自宅が侵入盗難事件に遭い精神的ショックを受ける | - | 1910年 『門』の連載後、静養先の修善寺で大吐血し危篤状態となる(修善寺の難) |
| 44歳 | 1972年 バンクーバーのSFコンベンションに参加後、自殺未遂を経て薬物更生施設に入所 | - | 1911年 文部省からの文学博士号授与を辞退 |
| 45歳 | 1973年 レスリー・バスビーと5度目の結婚 | - | 1912年 『彼岸過迄』『行人』の連載を開始 |
| 46歳 | 1974年 神秘体験(「2-3-74」体験)を経験し、後の作風に決定的影響を与える | 1977年 『ゴルディアスの結び目』で第8回星雲賞を受賞 | - |
| 47歳 | - | - | 1914年 『心』(『こころ』)を朝日新聞に連載 |
| 48歳 | - | - | 1915年 自伝的小説『道草』を朝日新聞に連載 |
| 49歳 | 1977年 『暗闇のスキャナー』を刊行 | 1980年 小説『復活の日』が実写映画化され公開 | 1916年 『明暗』執筆途中の12月9日、胃潰瘍のため死去 |
| 51歳 | - | 1982年 日本SF作家クラブ第3代会長に就任 | - |
| 53歳 | 1981年 『ヴァリス』を刊行。映画『ブレードランナー』の試写映像を鑑賞 | - | - |
| 54歳 | 1982年 脳卒中の発作により死去。同年、原作映画『ブレードランナー』が公開 | 1985年 『首都消失』を刊行し第6回日本SF大賞を受賞。つくば万博テーマ館プロデューサーを務める | - |
| 59歳 | - | 1990年 国際花と緑の博覧会(花博)で総合プロデューサーを務める | - |
| 64歳 | - | 1995年 阪神・淡路大震災に遭遇し、被災地支援や提言活動に尽力 | - |
| 69歳 | - | 2000年 新人SF作家の発掘を目的とした「小松左京賞」が創設される | - |
| 75歳 | - | 2006年 谷甲州との共著『日本沈没 第二部』を刊行 | - |
| 76歳 | - | 2007年 アジア初の世界SF大会(NIPPON2007)で名誉客員を務める | - |
| 80歳 | - | 2011年 肺炎のため死去。日本SF大賞特別賞を受賞 | - |
【フィリップ・K・ディック】 イリノイ州シカゴで誕生(1928年)
【小松左京】 誕生(大阪府大阪市)(1931年)
【夏目漱石】 江戸の牛込馬場下横町にて誕生(本名:金之助)(1867年)
【夏目漱石】 塩原昌之助の養子となる(1868年)
【夏目漱石】 東京府第一中学校を退学し、漢学塾二松学舎に入塾(1881年)
【夏目漱石】 第一高等中学校予科に入学(1884年)
【小松左京】 京都大学文学部に入学(1949年)
【フィリップ・K・ディック】 バークレー高校を卒業(1947年)
【フィリップ・K・ディック】 ジャネット・マーリンと最初の結婚(1948年)
【フィリップ・K・ディック】 カリフォルニア大学バークレー校に入学(のちに中退)(1949年)
【フィリップ・K・ディック】 クレオ・アポストリデスと2度目の結婚(1950年)
【夏目漱石】 正岡子規と出会い、初めて「漱石」の号を使用(1889年)
【小松左京】 京都大学卒業後、経済誌記者や漫才台本執筆などを経験(1954年)
【夏目漱石】 帝国大学文科大学英文学科に入学(1890年)
【フィリップ・K・ディック】 短編『ルーバ』が雑誌に掲載されプロのSF作家としてデビュー(1952年)
【夏目漱石】 帝国大学文科大学を卒業し、東京高等師範学校の英語教師となる(1893年)
【フィリップ・K・ディック】 最初の長編小説『太陽系宇宙船』を刊行(1955年)
【夏目漱石】 愛媛県尋常中学校(松山中学)の英語教師として赴任(1895年)
【夏目漱石】 熊本の第五高等学校教授に着任。中根鏡子と結婚(1896年)
【フィリップ・K・ディック】 アン・ウィリアムズ・ルービンスタインと3度目の結婚(1959年)
【小松左京】 「易仙逃里記」でSF作家としてプロデビュー(1962年)
【小松左京】 初の長編SF小説『日本アパッチ族』を刊行(1963年)
【小松左京】 長編小説『復活の日』を刊行(1964年)
【夏目漱石】 文部省留学生としてイギリス・ロンドンへ留学(1900年)
【フィリップ・K・ディック】 代表作『高い城の男』を刊行(1962年)
【小松左京】 長編小説『果しなき流れの果に』を刊行(1965年)
【フィリップ・K・ディック】 『高い城の男』でヒューゴー賞長編小説部門を受賞(1963年)
【小松左京】 長編小説『エスパイ』を刊行(1966年)
【夏目漱石】 イギリスより帰国し、東京帝国大学講師および第一高等学校講師に就任(1903年)
【夏目漱石】 『ホトトギス』に処女作『吾輩は猫である』を発表し絶賛される(1905年)
【フィリップ・K・ディック】 ナンシー・ハケットと4度目の結婚(1967年)
【小松左京】 日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館サブプロデューサーを務める(1970年)
【夏目漱石】 『坊っちゃん』『草枕』などを発表(1906年)
【フィリップ・K・ディック】 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を刊行(1968年)
【夏目漱石】 大学を辞職して朝日新聞社に入社、職業作家となる(1907年)
【フィリップ・K・ディック】 『ユービック』を刊行(1969年)
【夏目漱石】 『三四郎』を朝日新聞に連載(1908年)
【小松左京】 『日本沈没』を刊行し大ベストセラーに。第27回日本推理作家協会賞を受賞(1973年)
【夏目漱石】 『それから』を朝日新聞に連載(1909年)
【フィリップ・K・ディック】 自宅が侵入盗難事件に遭い精神的ショックを受ける(1971年)
【夏目漱石】 『門』の連載後、静養先の修善寺で大吐血し危篤状態となる(修善寺の難)(1910年)
【フィリップ・K・ディック】 バンクーバーのSFコンベンションに参加後、自殺未遂を経て薬物更生施設に入所(1972年)
【夏目漱石】 文部省からの文学博士号授与を辞退(1911年)
【フィリップ・K・ディック】 レスリー・バスビーと5度目の結婚(1973年)
【夏目漱石】 『彼岸過迄』『行人』の連載を開始(1912年)
【フィリップ・K・ディック】 神秘体験(「2-3-74」体験)を経験し、後の作風に決定的影響を与える(1974年)
【小松左京】 『ゴルディアスの結び目』で第8回星雲賞を受賞(1977年)
【夏目漱石】 『心』(『こころ』)を朝日新聞に連載(1914年)
【夏目漱石】 自伝的小説『道草』を朝日新聞に連載(1915年)
【フィリップ・K・ディック】 『暗闇のスキャナー』を刊行(1977年)
【小松左京】 小説『復活の日』が実写映画化され公開(1980年)
【夏目漱石】 『明暗』執筆途中の12月9日、胃潰瘍のため死去(1916年)
【小松左京】 日本SF作家クラブ第3代会長に就任(1982年)
【フィリップ・K・ディック】 『ヴァリス』を刊行。映画『ブレードランナー』の試写映像を鑑賞(1981年)
【フィリップ・K・ディック】 脳卒中の発作により死去。同年、原作映画『ブレードランナー』が公開(1982年)
【小松左京】 『首都消失』を刊行し第6回日本SF大賞を受賞。つくば万博テーマ館プロデューサーを務める(1985年)
【小松左京】 国際花と緑の博覧会(花博)で総合プロデューサーを務める(1990年)
【小松左京】 阪神・淡路大震災に遭遇し、被災地支援や提言活動に尽力(1995年)
【小松左京】 新人SF作家の発掘を目的とした「小松左京賞」が創設される(2000年)
【小松左京】 谷甲州との共著『日本沈没 第二部』を刊行(2006年)
【小松左京】 アジア初の世界SF大会(NIPPON2007)で名誉客員を務める(2007年)
【小松左京】 肺炎のため死去。日本SF大賞特別賞を受賞(2011年)